失敗しない、着物リメイクしてもらうときのあれこれ
着物リメイクとは?一閑張りの魅力

着物リメイク制作 わたしのモノづくり

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手作りブームの到来

「博多浪漫着物服(はかたろまんちか)着物リメイク&きものリメイク雑記帳」のサイトを立ち上げることになり、なぜ着物リメイク作家になろうとしたのかを考えみました。
それは「もの」を作り出す喜び・・・です。
いまは手作りしなくても「モノ」はあふれるほど売っています、「モノ」つくる喜びや楽しさは今日「手作りブーム」としてやってきました。
それに気付いたのは私が勤めを辞め、自宅にねむっていた職業用ミシンとロックミシンを使い始めた頃でした。
その頃は今のように手作りクリエイター専用の大型ショッピングサイトなどができるとは考えもしませんでした。

先日TVのドキュメンタリー番組(2015年6月放送)で自宅で特技や趣味を生かして販売してる「素人職人」として紹介をしていたのを見ました。
手作り作家とはいえ、「素人職人」というテロップが出たことに内心「ええーーーっつ!」という驚きました。正直なところ「素人職人」というテロップにショッキングな気持ちになったのです。
「モノ」を作って売るという行為がすでにプロとして自覚すべきではないか・・・という持論があったのです。まして「手作りフェア」はプロやアマチュアが入り乱れて出展している皆が「素人職人」と思われるが心外な部分もあり、複雑な気持ちになりました。
しかし、大まかなところから見ると、趣味の延長上の仕事で生活が成り立っていいけるのか?というのが世論なんだと思います。「素人職人」というのは皮肉だったのかもしれませんね。

モノづくりのルーツ

私は幼いころからお裁縫等興味があり、特にクラシックアンティークものや和雑貨が好きでした。
ちなみに私以外の家族はまったくお裁縫など手先の器用なことはできません。

そう、わたしの「モノ」づくりのルーツはどうも祖母の曾祖母の隔世遺伝のようです。
曾祖母は博多で芸子さんの着物を仕立てをしていて、私が幼いころに祖母に連れられて行った先、祖母の義姉の家で着物仕立てをしているのをそばで見たていたのが、いまでも記憶に残っています。
・・・・とは言っても将来の夢は今のような仕事をするとは想像もしていませんでした。
(卒業文集にもそういったことは一切かいていません、笑)
大人になるにつれ、性格的に何かに群れる・・・というのも苦手だったために、自然に技術を身につける仕事を選んだのかもしれません。

着物リメイクのスタート

技術を学ぼうと職業訓練校の被服科に行き、アパレル縫製工場で勤めました。
職業訓練校はすごく厳しかった記憶があります、縫製工場もタコ部屋に近いものがありましたしね(笑)
数年は縫製工場で勤務し20代後半は会社員としてOLを8年ほど勤めました。

その後OLを辞め、人生の充電期間に入り久しぶりに家にあった職業用ミシンを使って洋服をつくってみました。それをきっかけに絣のジャケット制作など頼まれることがあり、それからはバイトをしながら洋裁や着物リメイクをし始めたのです。

技術(感覚)を思い出すために洋裁教室を半年ほど通い、運よく自宅の近所に貸店舗借りることができました。
貸店舗ではアトリエ兼工房としてはじめましたが、自分で商売をした経験などないので全く!売れませんでしたね。(苦笑)いまでも売れてませんが・・・
はじめは、洋服を全般に作っていましたが、ご依頼がある着物リメイク制作の魅力にドンドンとハマっていきました。

着物リメイクの魅力・・・簡単にいえば幅37センチほど長さ11メートルの限られた中で可能なデザインを考えるのが楽しくなったのです
限られた幅や長さで夢や可能性、楽しさなどどこまで引き出せるか・・・そういう魅力が「着物リメイク」にはあります。

着物リメイク作家として

着物リメイク専門として制作し始めたのは工房を開設し数か月後でした。三十路半ばには展示会販売会などはじめましたが成り立つには随分と時間がかかりました。(今でも悪戦苦闘中です、笑)
作家としての方向性が見えてきたのはここ最近です。
世間評価があってこそ作家としての価値があると思う今日です。
冒頭に書きました、「モノ」つくる喜びや楽しさは、また「モノ」つくりを通して楽しむ心や癒される心は「非売品」だと思います。
今後も着物リメイク作家として皆様に素敵な作品をご提供できるよう日々精進していきます。

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