ものづくりの鍵となるもの
QOOPY'S NOTEが記念すべき100ページとなり、私的に思うことを書いてみることにしました。
ワタシが書くものといえば、「ものづくり」のことか「和(和風な)的なもの」に限りますが、最近「ものづくり」に対しての方向性がザッと見えてきたような感覚に陥ることがよくあります。それが確かなものなのかどうかは、確信はありません(笑)わかりやすく言えば、女性の特有の「なんとなく」という直感を感じるといいますか。要は理由の裏付けは経験や知識的なことですが説明が付かないのです、突然「ああ!そうだったのか!」というようなことを思う瞬間があるのです。
元々は洋裁の経験を生かして、「着物リメイク」をスタートして和雑貨や一閑(イッカン)張りを制作するようになりました。ものづくりというのは定番スタイル化している「迷い中ながら制作する」というところがあり、どこに正解があるのだろうか・・・という負のループの繰り返して日々を過ごしているひとも少なくはないでしょう。ワタシもそのひとりです。
少しずつキャリアが積み重なると様々なことが見えてきます。
自分が作りたいものから始まった「ものづくり」、それがいつの間にか求められるものを創作し始めていつの間にか、世の中の一部となっています。ものづくりの文化芸術というのは(経済と比べて)二の次という位置も感じながらも実は平和の象徴でもあり人の心の大きな要となる部分もある、と思うようになってきました。世の中のものづくりやハンドメイドというのは心の豊かさを象徴しているのです。
物質的な心の豊かさと精神的な心の豊かさ
全国的に手作りブームがあってさまざまな処からイベントも立ち上がっています。こういう手作りフェアのようなイベントは20年前以上から手芸業界が細々とやってきたことが今や大きなブームとなりました。以前よりも方向性が違ってきていますが、作品を売るというよりオリジナルティのアイディアを売る時代となってきのかな、と感じます。最低限度の物質的な豊かさと心が満たされる精神的な心の豊かさが、手作りブームにはまったのではないでしょうか。
求めるものと求められるもの
最初は自分が作りたいものから始まった「ものづくり」が、徐々に求められるものに変化しつつあります。それは仕事として成り立つ過程につながります。但し仕事となる以上楽しみな時間ではなくなってきています。それは自分のためから、作品の向こう側(お客さま)の為に作ることとなり、自分の心を満たしてく制作とは違ってくるからです。続けていくのには、その中でもどうかして楽しみにながらやっていくことが課題となるワケですが・・・いつものそこのメンタルと格闘中です。私たちのようなものづくりの作家というのは、世の中になあっても無くて構わない嗜好品の部類なのだと思っていました。がそうでもないようです(笑)需要と供給の部分を自分自信で開拓していけば、自ずと世の中に必要なものという認識にかわるのではないかと実感しています。
一生懸命にしている分一喜一憂することになりますが、目指すもの、ものづくりの指針をみつけられたら、何の迷いもなく進めて行けそうな気がします。モチベーションも立ち位置が確立すれば、なんどもそこに立ち返ればいいのですから。但し、謙虚さもわすれず、精進しよと思うこの頃です。
着物リメイク作家 QOOPY